ロックンロールに蟀谷を

踊れないほうの阿呆。Twitter:@oika

ブログは下書きでも役に立つ

公開するつもりで書いていたけど、いざ書いていると意外にあまり目新しい情報がないなと感じたり、単純に途中で飽きてしまったりで、下書きのまま眠っているブログ記事というのが、過去にはいくつもある。

改めてそういうお蔵作品を眺めてみると、これはこれで意味があるものだ。

調べ物をしたときの記録なんかは特に、苦労して調べたものだから書いている最中はとても価値がある情報に思えているのに、いざ書き終えてみると、(当たり前だが)調べれば出てくる情報の寄せ集めなので、なんかわざわざこれ公開する必要なくね?という気がしてくる。

自分のための備忘録として、と思っても、なんせ人は未来の自分を過信するものなので、いやもう今回覚えたからいいでしょ、と思ってしまいがち。

そんなわけで下書き貯蔵されることになった記事をいま見返してみると、覚えた気になっていた情報を今や全然覚えていないし、何をやろうとして何を調べてどういう結論になったか、という世界に一つだけの自分専用特注情報なので非常に有益だ。

逆に、調べたことのメモを残しておこうと思ったのに結局やらなかった情報で、ああ残しておけばよかったなと今になって思うものも多い。

たとえば、がん保険に加入したときの記録。
なぜ生命保険や医療保険でなくてがん保険に入ったか。なぜこの会社を選んで、この契約内容にしたか。

相当いろいろ考えて決めたはずなのに、その検討記録が残っていないので、今後もっと良さそうな保険を見つけたとしても、乗り換えるのが得策かどうか判断に困る。
ダメなシステム開発プロジェクトのようだ。

教訓として、これ別に公開するほどの情報じゃないかな、と思えるときでも、とりあえずお蔵になってもいいやと思って書き始めておく。

もちろん自分用ならブログ記事でなくてNotionとかに記録してもいいのだけど、最初から自分用のつもりで書く情報は、「自分ならわかる」と思っている暗黙知が欠落し、行間の肥大化した記録になる。
そして、そういう「自分ならわかる」はずの行間で紡がれた記録は、得てして将来読み返したときにさっぱりわからん怪文書になりがちだ。

世に公開されないアウトプットにも価値がある。
「公開するかも」という気持ちで書き始め、実際に公開するかどうかは書き終わってから決めればいい。

以上。そんな感じで書きあがった文章です(公開)