大学受験の際に「すべる」のを憂惧しスキーを手離して(足離して)以来、北国に居ながらウィンタースポーツと無縁な十余年を過ごしてきたが、最近になって友人に誘われるがままスノーボードに手を(足を)出し始めた。
おおよそビビりの自分にこういった度胸遊び系スポーツは向いていないのだけども、自転車だとか泳ぎだとか、こういう身体感覚の習熟を要する競技において、その未習熟期にしか得られない、もどかしさのような情けなさのような特有のそわそわ感が、なんか久しぶりだなぁと。
認知心理学的にいうと「手続き的知識」というやつだ。言葉で説明されたからといってすぐ習得できるものではない。
逆にいえば言語理解が不要な分、小さい子供でも反復練習さえすれば習得可能だったりする。
しかしどうにも熟練者から宣言的な解法をもらおうとしちゃうのは大人メソッドなんだろうか。
「重心は前に」とか「身体が開き過ぎてる」とか言われて、頭では理解できているのに理解したとおりに身体が動かず、なんでかなぁと首を傾げ、転ぶたびに理不尽だ理不尽だと呟く我に、俺の中の梵がディレイをかけて「人生に近道なし」と叫ぶ感覚。
子供といえば、先日ゲレンデの狭いコースで制御が効かなくなって派手に転んで泣いていた小さな女の子がいたが、20分後に見かけたときにはもう立ち直ってダディの後ろを鮮やかに滑り降りていた。
子供はメンタル強いなぁなんてそのときは思ったけど、自分の子供の頃を振り返ってみたら、メンタルの強さなんて欠片もなかったわ。
小学校低学年の頃に2週間程度だけ通ったスキー教室は、年上ばかりのグループに全然馴染めず、子供ならではの残酷さでイジワルをされたり、方向音痴も手伝ってゲレンデで迷子になったりで泣きそうになってる記憶ばかり多い。
ただ唯一仲良くなれた、きらっきらに明るい同い年くらいの男の子がいた。
彼は僕の記憶における一番最初のヒーローで、いつも「ぴょこーん、ぺたーん、ぴったんこ!」と、ど根性ガエルのテーマを歌いながら登場した。
あんな小さい頃に数日間しか会ってないのに、我ながらよく覚えているなと思う。たぶん人は自分に勇気をくれた人のことを忘れないのだろう。
その後しばらく、困難にくじけそうなときにはぴょこーん、ぺたーん、ぴったんこと呪文のように唱えて勇気を振り絞るようにしていたし、あいつが「ケロッケロッケロッとは鳴かないで」の部分を「鳴かないよ」と間違えて歌っていたせいでしばらく僕も間違えて覚えていた。
閑話休題。ボードの話だっけ。
手続き的知識って、習得した後は逆に未習得だったときの身体感覚がさっぱり思い出せなくなるのが不思議なところだ。
そう考えると上達を急くのも勿体ない。今のうちだけの未熟な感覚を味わっておくのも良いか。
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