僕の母校でも運動会の種目に組体操があった。5年生だったか6年生だったか。
プログラム最大の目玉は人間タワー。
写真は宮崎市教育情報研修センター「アイビーネット」の体育大会日記より引用。
一番下の土台が肩を組む形で輪になって立ち、2段目がその肩の上に立つのかな。
で、その上にさらに1人、立ってタワーの頂点を表す。
というのが本来の形だったのだけど、本番1週間前くらいの時点で、成功率は5割かそれ以下という状況だった。
見かねた担任が「帰りの会」で言う。
「組体操のタワーは簡単バージョンでいくことにする。」
簡単バージョンというのは、あまりちゃんと覚えていないが、一番下の土台が直立せず四つんばいの姿勢になる感じの、少し低いタワーだ。
練習でも何度かやっていて、成功率はほぼ10割。
声をあげて抗議こそしなかったものの、おそらく生徒の多くはこの決定に不満を持っていたと思う。
道徳教材でも娯楽の漫画でも、子供は「無理かもしれないことに勇敢に挑戦する姿こそ美しい」という哲学に嫌というほど曝露しながら育っていく。
そのセオリーでいくとここは
「うまくいくかどうかわからないが、どうする?諦めるか?」
「ぼくたちは…諦めたくないです!!」
「よし、挑戦してみろ!!」
となるべき場面であって、成功の見えた課題へのグレードダウンに、僕自身もモチベーションが大きく低下したように記憶している。
そんな僕らに先生はこう説明した。
「組体操は成功するかどうかハラハラしながら見て楽しむものだが、そのハラハラは、ちゃんと成功するという安心感があってこそ楽しめるものだ。」
いまいち意味がわからなくて、帰ってから家族にそのまま話してみたら、やはり母と姉は理解できないようだった。
とりわけ、自身も数年前に同じ種目をやっている姉は、成功するかどうかわからないのが楽しいんじゃーん!!とご立腹な様子だった。
ながらくzip化されたまま、これまで解凍される機会のなかった記憶である。
最近、組体操の事故が話題になる中で唐突に思い出したが、今ならあの先生の言わんとしたことがよくわかる。
成功するかどうかわからないから楽しいと言った姉、そして僕自身も、「失敗」の性質をはき違えていて、ピアノの発表会で「失敗」するのと同じような感覚だったのだろう。
たとえばサーカスを見るときでも、マジックショーを見るときでも、観客は万が一にも事故が起きることなど期待しない。
火の輪くぐりや水中脱出を楽しめるのは、それが成功するとわかっているからだ。
組体操という競技はこれらと同じで、「失敗」が深刻な事故につながる以上、必ず「成功」することが大前提なのである。
子供たちの組体操を見てハラハラを楽しむことができる人というはおそらく、プロのサーカスを見るのと同じ感覚で、セーフティな錯覚でそれを見ていることに無自覚なのだ。
不運にも目の前で重大事故が起きたときに始めて、安全圏の策など無かったことに気がつく。
残念ながら人間の危険予測能力などその程度のものなのであるが、幸いにして文明人である我々は、歴史から学ぶことも、社会から学ぶこともできる。
メディアに恐怖心を煽ってもらうのも慣れたものだし、モンスターになって学校にクレームをいれるのも得意である。
はりきっていきましょう。
参考記事:
・ピラミッドよりタワーが危険 組体操事故 障害事例の分析 ▽組体操リスク(7)(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース
・小6「組体操やめたい」 学校の対応は…?【10/9更新】 - Togetterまとめ
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