バカッターという言葉が嫌いだ。
その絶望的な語呂の悪さが嫌いだ。
そういった命名センス――屈辱的な言葉を遣うときに、せめてもの免罪符として機能する命名センスが、見事なまでに皆無だ。
無為ったーでも朽ちったーでもなく、ブヒったーですらなく、バカったー。
BAKATTER。話者の頭の悪ささえ透けて見えるようなこの最低の語感が嫌いだ。
その二枚舌の罵倒が嫌いだ。
当初、「ツイッターなんてやるやつは馬鹿ばかり」の意であったはずの、バカッター。
それが、2ch転載禁止の騒動があり、まとめサイトが積極的にTwitterのつぶやきからネタを収集するようになった結果、バカッターと罵っていたはずの層へ提供される話題もTwitter発信であることが増えて、大きな認知的不協和を抱えるようになる。
その結果、言葉の意味は都合よく捻じ曲げられ、いつしか「ツイッターでバカを公表するやつ」になっていた。
猫の奇行やクソコラに草を生やしつつ、同じ口で10代の犯罪自慢に機嫌良く「またバカッターか」とのたまう。
そのご都合主義な態度が嫌いだ。
諸君、私はTwitterを、地獄の様なTwitterを望んでいる。
諸君、私をフォローするタイムラインの諸君。
君達は一体何を望んでいる?