ロックンロールに蟀谷を

踊れないほうの阿呆。Twitter:@oika

「負けまいとする心」について

 すんごいいまさら、こんなタイミングでネタばらしをするわけですけども、以前まで書いていたブログ「負けまいとする心でしょう!」のブログ名は、小さいころに見た、とんねるずのレギュラー番組(たしか生ダラだったと思う)のスペシャルの名前から取った。

 当時タカさんが「○○でしょう!」っていうのが(タカさんの中で)流行ってた時期があって、スペシャルの名前も「負けまいとする心でしょう!スペシャル」みたいな名前になったことがあったんだけど、それがなぜだか後年まで記憶に残っていたのだった。

 

 なにせね、自分には「負けまいとする心」が致命的に欠けてた(&欠けてる)わけです。

 小学校ではサッカーをやってて、自分の代でも全道大会で3位とかになる程度にはそこそこ名門で、レギュラーだった程度には上手だったわけです。

 昔から自分はなにかとある程度のレベルまでは器用にこなす人で、スポーツに関してもそんな傾向にあった(あ、水泳とかはスキーとかはいまいちだったけどもまあいいか)。

 中学では最初、学校の事情でサッカー部に入れなかったので、卓球部に入ったんだけども、そこでもまあまあ器用にこなして、団体戦のレギュラーになる程度には実力を認められてた。

 

 ところがだ、他校との練習試合や大会となると、なぜか全然勝てない。

 自チームの別の人が次々に初白星を上げていく中、自分だけ、だいぶ長いこと白星ゼロが続いた。

 このときに、サッカーと卓球の性質の違いを痛感した。

 サッカーは本当にチーム戦なので、足を引っ張らないようにうまく立ち回っていれば、つまり、自分の役割を十分にこなしてさえいれば、誰かが点を入れて自動的に勝つことができるゲームだった。

 卓球は、団体戦といっても、ひとつひとつは個人戦だ。自分で相手に勝たなきゃいけない。

 卓球をやって初めて気づかされたのだけど、自分はこれが致命的に苦手だった。

 

 相手を負かすためには、技術が半分、気持ちが半分である。

 特に中学の卓球なんて、大多数のプレイヤーのレベルはどっこいどっこいだったりするので、気持ちの強さが結果にダイレクトに反映された。

 相手がちょっと名前の知れた、どこどこ校のだれだれだったりすると、まるでダメ。

 最初から勝てるわけがないと思っていたし、それゆえ勝てなかった。

 卓球は2年生までやっていたけど、2年間で唯一結果らしい結果を残せたのは、ダブルスで出場した大会での準優勝。ダブルスなら強い(笑)

 

 最近、『ダイヤのA』という野球漫画を1巻から最新刊まで読んだ。

ダイヤのA(1) (講談社コミックス)

ダイヤのA(1) (講談社コミックス)

 

 

 これが面白くてわりと短期間で一気に読んだんだけども、ライバル校の選手で、ちょくちょくアホほど天才的なやつが出てくる。

 勝負強すぎるエースとか、甘い球は全部ホームランにしちゃう強打者とか。

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 ↑漫画から引用。こんなやつが出てくる。野性的なセンスで基本なんでも打てる。

 そうなると俺なんかは読んでて、ああだめだって思ってしまう。どうすんだよこれ…って。

 ところが読んでいくと、勝ったり負けたりする。無敵設定だったやつが、小さなミスからガタガタと崩れていったりする。

 これが真理なんだよな。

 

 負けまいとする心というのは、勝ちを信じられる心だ。

 これが持てないっていうのは、なんなのか。性格的な問題なのか。

 スポーツ漫画的にいえば、勝ちを信じられるようになるまで素振りすべし、ということになりそう。

 誰よりも練習したんだから負けるわけがないっていう、自信に根拠が必要な人間にとってはそれしかないかもしんないですね。

 という、結論があるようなないようなとりとめのない話でした。